Alred_Another’s diary

6回生です

平成最後の夏、父と縁を切った夏

 僕が夏休み、8月の終わりに3日間くらい失踪した時あったじゃないですか。あの時はホントに死ぬかと思った。精神的に。
まず、水曜日に父から電話が掛かってきて明日京都に行くと言われた。こっちの都合もお構いなしに。まぁ、京都駅のどっかで少し話すくらいなら良いかなと思ってた。でも次の日、木曜日、京都駅で合流したら「今から大学に行って事務員と面談する。もう予約してあるから行くぞ」って言われる。渋々、父と一緒に大学に行き事務員と三者面談した。
 面談の内容はまぁ成績のこととか学生生活のこと、卒業できるのか、とかその辺。単位的にも十分卒業可能だし、本人にも卒業の意思があるのでこのまま後期も在学で問題ないですね、みたいに話はまとまった。
面談が終わった後、廊下で父と就職の話になった。静岡に帰ってこいっていう今までもずっと言われてきたやつ。まぁ僕も就活は静岡でするから金くれって言ってたし父も僕が静岡で就職する気になったと思ってたんだろうけど、ここが限界だと思った。ここで誤魔化し続けるのはもうやめようと思った。だから全て正直に話したらメチャクチャ怒った。大学の廊下だし、何人か生徒が通ってるけど、関係なく怒られた。「ふざけるな」「お前は自分を何だと思ってるんだ」「Xさんの言うことが聞けないのか」「どうして自分から不幸になるんだ」「お前もあいつ(母)と同じなのか」って。
でも僕ももう10年近く我慢し続けてきたんだよね。嘘ついてきたんだよね。もう限界だったしその宗教のこともまったく信じてないし、理解できないってハッキリ言った。
 話が終わらないまま時間が過ぎ、父が帰ると言った。でも「このままお前を京都に置いて帰れない、Xさんのとこに連れて行く」いつものXさん。何かあったらXさん。僕はもうそれにうんざりしてたんだけど、まぁ伝わらないよね。
絶対に着いて行きたくなかったけど来ないと下宿まで来るって言うし大家にも電話するって言うし、明日(金曜)には帰るからって条件でしょうがなく一緒に新幹線で帰った。ホントにそのまま帰った。(だから充電器がなくてスマホの充電ができなくてTwitterもできなかった。うちにまともに使えるPCはない)
新幹線だし無視して下宿に帰ればよかったかもしれないけど、まぁ着いて来られるのが凄く嫌だった。
 実家に着いてすぐに寝た。
 次の日、朝ごはんを済ませたら、仕事を手伝えって言われて無理矢理手伝わされた。コンタクトも眼鏡もないのに。
 ないのはそれだけじゃなく、毎食の飲み薬もないし、栄養剤(僕は消化器の病気の都合、1日2食はその栄養剤を飲まないといけない)もない。「薬も眼鏡もないからさっさと帰らせろ」って言ったら薬局に連れて行ってその薬を買おうとした。でも珍しい薬だから地元の薬局には置いてなくてでかい市立の病院の薬局まで足を運ぶことになった。珍しい薬だし、保険適用外だし3万くらいかかった。こういうことには金使うんだよな。よっぽど意地になってたんだろうけど。
 午前中の仕事が終わって午後になったらXさんのとこに連れて行かれた。ここが一番ヤバかった。今までの人生で一番ヤバかったかもしれない。
そのXさんのいる家は一軒家で小教室くらいの広さの部屋がある家で、その部屋の奥にXさんがいて、その隣に幹部級の女が3人(全員Xさんの血縁者)いてその向かい側に信者がたくさん座ってる(その時は15人くらい)。
 そこで父が「こいつが静岡に帰ってこないって聞かないんですよ」って言う(向かい合う信者と幹部たちの間に入って)と、「お前はまだそんなこと言ってるのか」ってXさんに言われる。幹部A(一番性格がヤバい元ヤンであることをしょっちゅう自慢してくる)が、「いい加減にしなさいよ。何が不満なわけ?」と詰問してくる。
僕は「ここのことなんか信じたことなんかないし、ここにも2度と来るつもりもない」って言った。マジでしんどかった。全員の視線が僕に向いてるし、平日の昼間に集まるような信者ばっかだし、後ろの方で信者たちがボソボソ文句言ってるのも聞こえた。
 そこからはなんかもうずっと罵倒浴びせられてた。「誰のおかけで大学に行けてるんだ」「そんなに京都にいたいならなんでさっさと卒業して京都で就職しなかった」「お前の病気を治した恩を忘れたのか」「お前みたいな子供が一人で何ができる」みたいな。まぁ卒業しなかったのはホントのことだから何も言い返せなかった。
「もうこの子は卒業する気ないね、さっさと退学させな」ってXさんが言う。(言いながら人差し指と人差し指を向かい合わせる。神様に聞いたことがその通りなら指同士がくっつく、そうじゃないなら逸れる。それでその指と指がくっついたので、神様は僕が卒業しないと判断したってこと)するとさっきまで「一応卒業はできるようなので卒業はさせたい」とか言ってた父が「わかりました。辞めさせます」とか言い出す。マジかこいつって思って「Xさんと僕の言うことどっち信じんの?」って聞いたら「Xさんに決まってるだろ。誰がお前の言うことなんか信じるか」って言われちゃった。ムカついたから睨んでたら「なんだその目は」って思いっきりビンタされたから僕もカッとなって父の胸倉掴んで「あんたのその何でもXさんXさん言うのが嫌で母さんも出てったんじゃないか!」って今までの人生で一番怒ったかもしれない。胸倉掴んだのも初めてだったしね。結局、周りにいた信者たちに取り押さえられたけど。
それでそのまま閉じる時間になって(午後17時くらい)「ここには2度と来ません」って言って帰ってきた。
 帰ってきてからもしんどかった。従業員たちに囲まれて説教された。説教って言ってもただの罵倒だったけど。人生で初めてだったよ。あんなに大人に暴言吐かれたの。「お前みたいなクソガキがこの家出て何ができるんだ」「誰の働いた金で大学通ってるんだ」「あんたもあの女(母)とおんなじだね」「あんたみたいなのはどうせ乞食とか浮浪者になるだけだよ。それすらも社長(父)に迷惑かかるんだよ」「大学行ってて頭良いかもしんないけどさもうちょっとまともなこと言えないわけ?」「甘ったれたこと言ってんなよこのクソガキ」。これはマジで言われた。ショック過ぎて今でも覚えてる。ヤバくない?僕に向かって母のことあんお女とか言う?このクソガキがとか言う?それ聞いてても父は何も言わないしね。従業員は甘やかしてくれる父(社長)が大好きだから「社長に迷惑がかかる」「親不幸者」「親を騙して金だけ奪いやがって」とか言う。そんなだから途中から父も乗ってきちゃって「今までの金返せ」「お前が俺から騙し取った1500万返せ。そしたら好きにしろ」「出ていくって言うならお前とはそれまでだ。縁を切る」とか言っちゃってもうね。父の悪いところだよねホント。ちなみにこの間もタイムカード切ってないからね。1時間近く僕に罵詈雑言吐いてるだけで給料発生してたからね。もちろんその後、掃除も片付けもせずに帰ってったし。ホント良い職場だな~。
 次の日、土曜日も朝から仕事を手伝わされた。コンタクトも眼鏡もないのに高所の掃除とかさせたからね。マジかよ。
途中で父が配達に行くから着いてこいって一緒に車に乗ることになった。配達先を回りながら助手席にいる僕に「こうやって金を稼いでいるんだ」「取引先があるから食っていけるんだ」「みんな働いてるんだよ」とか色々言ってくる。僕もまぁ心が無いわけではないので「ありがとう…みんな…」みたいな気持ちになった。なったんだけど「これも全部Xさんに教えてもらってるおかげ、神様仏様ご先祖様に助けてもらってるからなんだぞ」とか言うから、やっぱ無いわ…って気持ちになった。
配達から帰ってきて少し仕事した後、昼休憩になった。これ以上はもうヤバい、絶対に無理、逃げようと思って帰ることにした。荷物もそもそもほとんどないし、怪しまれない程度の量だったからボディバックに詰めて帰ることにした。でも下宿に帰ってもワンチャンっていうかほぼ確実に父が来るだろうから、母の実家(名古屋)に行くことにした。
 そんで前もって母の携帯に電話しようと思ったが、電話してるところをうっかり見られるとまずいと思い、近所の幼馴染の家に行って電話を借りることにした。訪ねると幼馴染の姉が出てきて「久しぶりじゃーん。どうしたの」って聞かれて「家の電話が使えなくてスマホの電池もないから電話貸してくれ」ってその幼馴染姉のスマホ借りて母に電話した(家族の電話番号は暗記してる)。幸い、母は直ぐに電話に出て、事情を話したら直ぐに来いって言ってくれた。
 スマホを返して、あとは荷物を持って駅に向かうだけ。人通りの多い正面から出るのはバレると思って裏口から出たら、まさか父がそこにいて「何してんだ?」って聞かれて「あ…いや…本屋行こうと思って…」「それくらい行ってけよ」ってこの時はなんでか父も笑顔だったんだよな。メチャクチャ胸が痛かったけど、そのまま駅に向かった。でも途中でバレて追っかけてきてるんじゃないかって不安になって何度も何度も後ろを振り返りながら歩いてた。途中でタクシー会社に寄ってタクシーに乗って駅まで向かうことにした。コンビニで全額おろして駅に向かった。
駅で電車を待ってる時も怖かった。いつ追いつかれるのか不安でしょうがなかった。それと同時に罪悪感もヤバかった。「休憩行ってきまーす」って言ったまま出てきたし、最後に見た親父は笑顔だったし、メチャクチャ罪悪感に襲われた。けど今さら戻ることはできないし、電車で母の実家に向かった。
 母の実家に着いたら、一応、父へ電話した。電話したけど出なかったから実家に電話したら姉が出た。「今どこにいるの」「母さんの実家」「なんでそういうことするわけ?今お父さんあんたの下宿にいるんだよ?なんでわからないの?」っていうやり取りして切った。
 しばらくすると父から着信があった。恐る恐る出ると、怒っていなかった。けど憔悴した感じだった。途中で母が電話代わって色々と手続きはするからあんたはもういい、みたいなこと言ってた。また電話を僕に代わって「お前の部屋の鍵、スペアキーか?置いてあったから持ってきたからな」「勝手なことすんなよ」「お前の部屋にタバコの吸い殻あったけどな、お前自分が病気だってわかってんのか?そんなに死にたいのかよ」って言って電話が切れた。
 その次の日(日曜日)、少し母と叔母と色々と話してから下宿に帰ってきた。ホントにスペアキーは持っていかれてるし、タオル置き忘れて行ってるし色々と居心地悪かったけど、疲れてたし直ぐに寝た。

 こんな感じで平成最後の夏は父と縁を切った夏になりました。作り話みたいでしょ?でも全部実話なんだよなぁ。

いい夫婦の日とかいい兄さんの日にコンプレックス抱くようになるとはね

 別に凄く仲が良いおしどり夫婦ってわけでもなかった。仕事のことで揉めることはしょっちゅうあったし、父の内弁慶な性格に対してともすればヒステリック気味の母だったし口論もよくしてた。
 それでも父は母のことを悪く言うことはなかったし、「俺が選んだ」って言って母に悪態つく僕を叱ってた。母も「あんたたち兄弟が学校に行けてるのは父さんのおかげなんだからしっかり感謝しなさいよ」って言ってた。家を新築にした時も夫婦の寝室は一緒だった。父は母の料理に文句言ったことは一度もなかった。母も僕らが食べる料理とは別に、晩酌するための刺身やつまみを作ったり買ったりしていた。
 去年の結婚記念日も父と母と姉でレストランで豪華な食事をしていた。お互いにまだ仲良くしようとしてた。
 でももう完全に関係が崩壊した。数年前から悪化していた関係が完全に破綻した。父からは母への、母からは父への愚痴や罵倒が毎日のように電話で掛かってくるようになった。僕はどっちにも愛想の良い対応していた。いつか誤魔化しきれない日がくると思いつつも。
 関係に亀裂が入った理由はハッキリとはわからない。長年の鬱憤の積み重ねだったんだと思う。父も母もそんなようなことを暴言交じりに言っていた。
 でも理由の1つは絶対に宗教のせい。
うちは有限会社の小さい会社だ。従業員も父含めて7人くらい。数年前から従業員を全員、そこの宗教に来ている人に変えた。Xさんがそうした方が良いって言うから。そこの宗教のことをわかっている、理解している人にすれば経営も良くなる。父も従業員もその家族もみんな幸せになれる、から。
 別に従業員なんて誰が働こうが仕事すれば誰でも良い。実際、力仕事や配達が多い仕事だったし、人手があるに越したことはない。姉はホテルや教員を辞めて実家で働いている。もちろんそれもそこの宗教が言うから。兄もいずれ継ぐことになる。今はその宗教に言われて北海道で修行しているが。僕も昔から長期休暇や休日には手伝っていた(手伝わされていた)。
とまぁ、それくらい人手があったら助かる仕事だった。
 僕も「僕の学費のために精々店を繁盛させてくれよな~」とか思ってた。だけど、ある時から従業員たちの態度が変わってきた。有り体に言えば、“増長”してきた。僕から見ても調子乗ってんなこいつら、って思ってた。いや、社長の息子の立場から偉そうに言ってるってだけじゃなくて。客の目の前で過度な私語、片付け掃除せずに帰る、昼休憩だけじゃなく、午後休憩がある(父含めてみんなでおやつ食ってる)。
 僕も最初はまぁホワイト企業で良いんじゃない?って思ってたんだけど、目に余るくらいになってきた。18時に従業員は全員帰って父が一人で店全体の掃除をしている。2時間くらいかけて。馬鹿じゃねーの?って思ったし、実際にそう言ったら僕がやらされることになった。やってらんねー。
 喋るのが好きなおばさんが接客するだけして定時になったら片付けせずに帰っていく。最高の職場だなホント。しかもうちの業績だって良いものではないのに、給料の値上げを要求してくる。でも業績は良くない。困った父はXさん、その宗教のとこに相談しに行く。父はいつもその宗教のとこに行く。何があってもそこに行く。そこでどうしたら良いか聞く。そんな姿に母も僕も嫌気がさしていた。
 それで、聞きに行った父に対してXさんはこう言う。「従業員あってのお前たちの会社だ。従業員がいなかったらそんな裕福な生活もできないだろう。従業員の言うことは聞きなさい」
 はい終わり。それで父はますます従業員が言うがままだった。給料は上げるし、休みはあげるし。いや、別にそれ自体は良いことだと思うよ?今どきホワイトでさ。でも一人で掃除して帳簿管理して夕飯食うの22時とかになってるじゃん。それで次の日5時とかに起きてるじゃん。ツケが全部父に回ってきてるじゃん。それで無理な分は姉が補ってる。他の従業員は給料上げてるのに、姉は身内だからって無給で働いてる。うちで働きつつバイトもしてる。毎日働いてる。毎日朝から晩まで働いてる。もう34歳なのに結婚しないでさ。結婚したいかわからないけど。そりゃ出会いもないよね。なのに姉はその宗教のところで怒られてるんだからホント馬鹿げてる。「結婚できないのはあんた自身が幼いからだ」って。「30超えた女がレースのついた服なんか着るんじゃない」って怒られてんの。意味わかんないよね。好きな服すら着ることが許されないとか本当に21世紀かよ。
 姉は従業員からもいびられてた。難癖つけて怒られたり、嫌がらせされたり。そんな従業員と姉を見て母は従業員に怒った。「私の娘に何するんだ」って。そしたらその従業員、Xさんのとこ行って「母に嫌がらせをされた。真面目に働いているのに」とか平気な顔で言う。
「従業員は大事にしなさい」っていつも怒られて「そうですね…」って反省してた母もいい加減耐え切れなくなって、その宗教のこと信じられなくなったらしい。
 姉は姉で「私が悪いの…」ってずっと言ってる。真面目で律儀な性格が姉の良いところだけど悪いところでもあるんだよね。嫌なことに嫌って言えないんだろうし、本当に自分のことを思って叱ってくれてるんだって思ってるんだろうね。
 今でも父と姉と従業員と仲良く働いてるんじゃないですかね。知らんけど。

宗教”Xさん”について②

 今では猜疑心しかないが、以前はけっこう心から信じていたと思う。そもそも、僕が、僕自身で宗教を拠り所にしていたところがあった。
 物心ついた頃から“死にたくない”という感情に押しつぶされそうになることがあった。なぜか知らないけど、唐突に、死にたくない死にたくないと怯える。自分がいなくなることが怖い。自分の意識がなくなるのが怖い。無になるのが怖い。そんなことばっか考えてしまい、いてもたってもいられなくなり、自分や物を傷つけてしまう。そんなことが発作のように起こる。今でも忘れた頃に起こる。
 だから、死んでも天国と地獄がある。と教えてくれた宗教は僕にとっては救いだった。自分が死んでも無にならない。そう確信をもって言ってくれることが救いだった。それ故に、疑問を抱きつつもそこに通う家族に着いていった。
 Xさんのところを信じなくなった今でも、僕は死後の世界があると思っている。そこは宗教とか関係なく自分の根幹にあるんだと思う。

宗教”Xさん”について

 一番古いXさんの記憶は小さい部屋に集まって談笑するXさんとそこに通う人たち。そこには仏像や戦国武将に関する本がたくさん置いてあった。部屋の一角に小さな机を置いてそこで相談を受けるXさんの姿。母さんはそれを真剣な表情で聴いている。

 僕は1500キロに満たない極小未熟児で生まれた。そのせいかは知らないが昔から身体が弱かった。とりわけ胃腸が。よく入院していた。保育園でも小学校でも中学校でも一時期入院していた。中学で入院した時は3カ月くらい入院しただろうか。いつもの腹痛だと思ってかかりつけの医者へ行ったら何かの数値が異常だったらしく入院することになった。当初は2週間程度の予定の入院だったが、原因がわからず1カ月が過ぎた。その間はほとんど絶食だった。
 

 結局、市の病院では原因が特定できず県の大きな病院に移ることになった。同室には小児がんや血液の病気、聞いたこともない病気の子供ばかりだった。自分の病気もそれくらいヤバいのかと思って怖かったことを覚えている。とか言いながらも同じフロアの少し年上のお兄さんたちとずっとモンハンやってた。1日中ずっとやってた。
 手足とかに異常はなかったし、激しい腹痛もなかったから早く退院したかったけど、その異常な数値は一向に下がらずに2カ月ほど経っていた。検査のために血はたくさん抜かれたし、絶食だったし、拘束されるしかなり大変だった。はずだけど当時の僕はたぶんそこまで悲嘆してなかったと思う。たぶんずっとモンハンやってたからかもしれない。

 一方で家族は、というか母さんはそれはもう必死に神様に祈っていた。Xさんのとこに通い詰めていた。まぁ原因不明の病気でいつまでも入院が続けば神様に頼る気持ちはわかる。   
母さんは僕が小学生の頃からXさんのところに通っていた。週に2~3回くらいだろうか。それがほぼ毎日通うようになっていた。本当に必死だったらしい。
 そのXさんが言うには、僕の病気が治らないのは「ご先祖様に飢えで苦しんで死んだ人がいるからその人を供養しないといけない」「父がここのところを理解していない」からだったそうだ。それを聞いた母さんはその人を供養してもらうために市役所に行って家系図と十数万をXさんのところへ行った。“ご供養”するにはその人の名前が必要らしい。お金は気持ちらしい。
 

 それともう一つ。父さんがXさんのことをまったく信用していなかったことも原因の1つ。それを聞いた母さんは必死でXさんのことを説明したり、連れて行ったりしたらしい。しかし父さんはまったく理解を示さなかった。当然と言えば当然である。普通に考えれば新興宗教でしかないなんだから。
 それでも原因不明のまま入院が3ヵ月になれば父さんも相当に焦ったらしい。父さんの方からXさんの方へ通うようになっていた。しかし、Xさんは父さんへ「ここのことを本当に理解していない。本心からわかるようにならないとダメ」と言っていたそうだ。

 そんな毎日が続く中、僕が外泊許可をもらった日があった。真っ先にXさんのところへ連れていかれた。そこで僕は“お手当”してもらった。“お手当”というのはXさんの娘や親類の人がそこに通う人たちが悩みを抱える部位に祈りながら手を当てることだ。詳しくはまた後で書きます。
 “お手当”しているとご先祖様がその治療している人に何か言った(忘れた、叱ってる雰囲気だった)。それを聞いた父さんは涙ながらに自分がわからないせいで…申し訳ない…みたいなことをXさんに言ってた。
 そしたらXさん「ようやく理解してくれたみたいだね」って言って父さんを慰めてた。

 その外泊から帰ってきてから最初の検査で、異常なまでに上がっていた数値がほぼ正常に戻りかけていた。その理由は医者もわからないと首を傾げていた。結局、数日で数値は正常な値になって退院することになった。原因はわからないまま。本当にXさんのおかげかもしれない。そうじゃないかもしれない。でも結果はそうなった。
 これをきっかけに僕の家族はそのXさんのところを強く信じるようになり、より家族ぐるみで通うようになった。僕も当時は感謝しかなかった。

 もう10年前のことだから忘れてるところもあるけどきっかけはこんな感じだったと思う。