Alred_Another’s diary

6回生です

いつものやつ

  あらかじめここにも書いておくが、マジで読んでて気分の良いものではないし、なんのためにもならないぐだぐだな文章なので読んで疲れるだけなので読む必要ないです。


 去年の手術から1年経った。この1年、ストーマと点滴が外れることを目標にしてなんとか耐えてきた。1年経ったら外すと言っていたからどんな生活だって耐えてきた。でももう無理。ストーマ外すのは先延ばしにされるし、点滴に至ってはもう外れることはないとまで言われた。耐えられない。

 病気の治療法が見つかってないと言われた時も、死ぬわけじゃないからと言い聞かせて耐えてきた。どんだけ飲み薬が増えようと、注射しようと、食事を我慢しようと耐えてきた。でももう無理だ。

結局また今回入院している。原因は埋めた点滴部分からの菌の感染。ストーマのケアと週2回の点滴針の刺し替えに毎日の点滴交換。我慢しながら久しぶりの授業を楽しんでたのに、結局3週間も入院することになった。もう今回ばかりは心が折れた。僕が何かやろうと思っても結局身体が応えられない。何もできない。もう卒業すらもどうでも良くなってきた。

もう本当に全てがどうでも良くなってしまった。

 1年前に手術した時に、術後の経過が良くなく腹膜炎を併発して死にかけた時に死んでおけば良かったのかもしれない、とまで思ってしまった。死ぬほど苦しかった手術とリハビリに耐えたのに、結局1年経ってまた病院に戻ってきてしまった。こんな状態ではどこもまともに雇ってくれないだろう。それに僕も毎日自分の身体のケアしながら労働ができる気がしない。もう何もできる気がしない。

 それでも今月から新しい薬を使うことになった。毎日注射するタイプの薬だ。糖尿病患者が使うような小さい針ではなく、普通のサイズの注射だ。それを毎日。耐えられる気がしない。もう痛いのは勘弁してほしい。今回の入院も毎日のように採血があったし、点滴は1日で血管がもたなくなってしまうので、すぐに刺し替えることの繰り返しだった。上腕部から胸部までのカテーテルを入れる局所麻酔手術だってしたのに、発熱が収まらなくて、結局1週間程度で腕から抜くことになった。それでも退院する前にはまた点滴ポートを埋め直す。

入院してすぐ取り出したから、今回は反対側に埋め込む。これもまた局所麻酔だ。書いてて嫌になる。また耐えないといけない。何回やっても痛みに慣れることなんてない。毎回痛い。

  それに入院費用のことを考えると嫌になる。いくら保険があって上限があったって、薬代や

諸経費は保険外だし、結局それなりのお金がかかる。毎月の薬代も訪問看護代も、さらに今月から始める薬に至っては1本数万の薬を毎日使う。それこそ全て保険で毎月大した額にはならない。でもそれは保険のおかげであって、僕以外の国民が納めた税金や保険料から賄われている。

僕にそこまでの価値はない。やはりさっさと死んだ方が良いとしか思えない。働いて貢献すれば良いかもしれないが、その責任に耐えられる気がしない。他人に生かされている自分が嫌になる。

 家族を捨てて一人で生きていくと決めたのに。いざ一人になると怖くて仕方がない。保険で賄えない部分や学費は離婚して出て行った母親に頼っている。一人でなんか生きていない。結局、頼りたくない母親に頼っている。ままならない自分が悔しくて仕方ない。死んだ方が良いとわかっていても、まだ生きていたいと思ってしまう。まだ見たいものがたくさんある。長生きできるかはわからないけど、少なくとも今はしにたくない。まだやりたいことがある。

 僕はまだスマホから家族の写真を消せていない。いつまでも消せない。夢にまで出てくる家族はトラウマで寝ることすら怖い。それでも写真で残る家族は笑顔で楽しく写っている、僕が全部壊してしまった家族が楽しそうにしている。今さらだけど、まだ、もしかしたらまた家族が元に戻ってくれるかもしれないと思っている自分がいる。せめてそれを成し遂げてから死にたい。

母と姉の子供を合わせたい。母が大好きだった兄を再会させい。二人三脚で姉兄弟を育ててくれた両親にまた仲良くしてほしい。

 全部僕が壊したけど、直したい。この先ずっと僕は痛みと病気の再発に怯えながら生きていくけど、それもきっとあんなに優しかった家族をバラバラにした罰だと思う。そう思わないとやっていけないから勝手にそう思っているだけど。そう思えば耐えられる。僕が悪いなら耐えられる。悪因悪果、自業自得。

 もしこれを読んでる人がいたらきっと善い人だろう。善き人には善き未来があるから、幸せになってほしい。もう僕は無理だけど、大好きなみんなには幸せになってほしい。

 

 また支離滅裂な文章を脈絡なく書き散らかしただけだけど、どこかで発散しないと僕も気が持たないからこうやって吐き出してるだけ。もしこれを読んでしまっても何も気にしなくて良いです。気分で書いてるだけだから。明日には別のこと考えてるし。

 俺つれぇわ~アピールなんか許されるの中学生までだし。

気付けば3月というか3年経った

最近メチャクチャ体調が良い。天気の良い日には遠出できるくらいには体調が良い。最近というか2~3か月くらい前から体調は良かった。去年の今頃は体調悪くて死にそうだったから、それを考えるとやっぱり手術して良かったと思う。術後の定期健診も良好で以前の数値からは信じられないくらいだ。逆に言えばあんな数値で本当にしんどかったんだなと思う。でも頼れる人間がいなかったのによく頑張ったと過去の自分をほめてあげたい。

体調だけでなく精神的にも健康になったようで、最近は他人と話すのも億劫じゃなくなってきた。コロナもあってディスコで誰かと遊ぶ機会も増えたが、以前の僕から考えられないからすごいと思う。こうなってくると、肉体的にも精神的にもメチャクチャしんどかった時期に疎遠になってしまった人たちを勿体なく思ってしまう。まぁでも今の僕なら追々取り戻していけるんじゃないかなって思う。

そんな感じだけど、心配事が尽きることはない。なんか次から次へと厄介ごとが降りかかってくる。波乱万丈なんて望んでないんだよ。凪みたいな人生が良いんだけど。

ここ2,3年で宗教関係で家庭崩壊する、実家から勘当される、持病が悪化するなんてコンボ決められたのに今度はストーカーとかマジで言ってんの?殺しにきてる?厄介ごと多すぎじゃない?もしかして他の人もみんな言ってないだけでこれくらい大変な目にあってたりする?みんなえらいな…。生きてるだけでえらい…。ストーカーに関しては関わりたくないので大学にぶん投げたからあとはお任せします…。

それよりもまだ懸念事項があるとすれば母上に関していまだに平穏は訪れそうにない気がします。

2月の終わりに母上は自分の家に帰ったんですが、帰るまでの4か月間がマジでしんどかった。今までも何回も一緒に住むのはストレスが溜まるから嫌だって言ったのに、聞く耳持っちゃいない。まぁ今回は流石に手術が手術だったんで、僕も強く言えなかった部分があるんだけど。それでも本当は復学する4月まではいるとか言ってたけど、なんとか2月いっぱいで帰ってもらった。

母上からすれば僕が最後の子供なので僕しかいないからメチャクチャ世話焼いてくる、のは仕方ないとは思うんだけど勘弁してほしい。僕ももう今年で27歳になる。アパートで同じ部屋で暮らすのがどんだけ苦行か考えてほしい。って言ってもわからんから家庭崩壊したんやな、とは思う。僕がどんだけ恨んでるかもわからないんだろうか。でもわかってるからこそ償いたいという気持ちで世話焼いてくるんだろうか。前に母上と実家で一緒に暮らしている叔母に聞いたことがある。その際に言っていたのは「今の母上の人生は僕の面倒見ることが生きがいになってる」ということだった。

僕だって別に進んで親不孝なことしたり、不真面目になりたいわけじゃない。元々僕は普通から外れることが嫌いな真面目な性格だったし、親が悲しむようなことは今だってしたいことではない。できることなら親へ恩返ししたいとは思っている。けど、僕の中ではもう両親はいない。僕の人生メチャクチャにしやがった人間としか思っていない。この数か月一緒に過ごして思ったが、母上は金出してやってるんだからおとなしく世話されとけ、っていう感じだった。それに僕が何か不満や意見を言うとヒステリック起こす。子供時代からあったことなので母上がヒスるのが苦手で母上がヒスるようなことはなにも言えなくなった。

そもそも僕が病弱なのもムカつく。病弱だったせいで家族が宗教にハマることにもなったし、いつまでも他人頼りの生活しなきゃいけない。働きたくても働けない。母上なんかに頼りたくないのに、金銭面では頼るしかない。

今後も検査入院や手術のたびに何度もこっちに来るって言ってるし今からそれが憂鬱で仕方ない。それだけが今、嫌だな~って思うこと。

宗教にハマって家庭メチャクチャにしたこともムカつくけど、一緒に暮らすとか言って僕の趣味までメチャクチャにしてくるのが一番耐えられない。TCGやゲームはまぁオタク趣味だしいい歳して…って難癖つけてくるのも100歩譲って許せるけど、僕の本棚までぐっちゃぐちゃにしたのは絶対に許せない。以前、僕がまだ病状が悪化して苦しんでた頃に下宿に来た時に、僕が寝てる間や外出してる間に掃除したとか言って本棚や本棚周辺にあった本を全部てきとうにまとめて段ボールにつっこんで押し入れにしまった。そのせいで帯が破れていたり、ページが折れていたりする本もあった。普段から本を読まない人間にはわからないことだろう。でも僕が大事にしているってことはわかってほしかった。そのせいで母上が部屋にいる時は外出しなくなったし、紙の本も新しく買うのはやめてしまった。

まぁそれでも母上が去った昨日から本棚や段ボールに突っ込まれた本の整理をしている。ようやく自分の部屋が作れている。とはいえ今住んでるアパートも入院中に、退院した後に、母上が僕の面倒見るために二部屋ある少し広めの部屋ということで選んできた部屋なので、2年更新の契約が切れたらさっさと引っ越したいと思っている。

僕の部屋をメチャクチャにされる心配もなくなったので自転車で遠出もできるようになった。精神的にもやはり一人でいる方が良い。生来の気質に加えて家族や宗教のことで完全に人間不信というか人間嫌いになってしまったのは治るかわからないけど、最近はそれでも以前よりかは他人と関わるようになってきたし、なんとかなるかなと思ってる。なんとかならなくても以前のように落ち込むことはないだろうし、それはそれでいいかなと思う。

今は4月から復学して夏には卒業して、腹に空いた穴閉じるのと点滴外す手術が終わるのを目標にしている。それまでジャンプ読みながら頑張ろうと思う。

改めて、退院しました

 いつも通りのインターネットやってたので改めて言う必要もないかなと思っていたんですが、入院した報告してちやほや心配してもらったので事後報告は必要かなと。あとは(こっちの方がメインかもしれない)自分自身の現状確認のために。

 

 発端という発端はないんですが、ここ半年から一年ほど、腹痛という腹痛はなく、薬物治療は効いてるように思えたんですが、体が異様にだるい、疲れるなど倦怠感が毎日続いていました。そういった状態に加えて3,4月くらいから膀胱や下腹部の痛みが出てきました。血液検査や尿検査では軽い膀胱炎だと判断されていました。

 しかし、その症状は無くなることはなく、また、倦怠感はますます強くなっていき、夏には杖がないとまともに歩けないくらいになっていました。

 そこで9月頭にCTやMRIや、内視鏡などの検査を行いました。その結果、小腸の各所が炎症を起こしていて、その一部分が膀胱と癒着していました。どうでもいいですが、この時の尿道カメラが今までの検査で今までで一番痛かったような気がします。できれば二度と受けたくないし、皆さんも受けることがない人生だといいですね。

 その検査結果を受けて、炎症部分を切り離す手術が決まりました。9月23日に入院し、9月25日に手術が行われました。今まで何度も入院したことはありましたが、手術は初めてなので多少の不安はありましたが、切って良くなるなら越したことはない、と若干楽観視していました。術後も10日程度で退院できると聞いていたのもありました。

 ところが手術が終わった二日後の検査でまた小腸に炎症が見つかりました。1回目の手術の時にはなかった部分が炎症を起こしているというのです。そんなことがあるのか?手術ミスじゃないのか、と思って文句を言ったところで炎症はなくならないし、手術も検査当日にそのまま行われました。

 そんな感じで小腸を70㎝ほど切ったそうです。けっこう切りましたね。それだけの小腸を切ったので消化能力はかなり低下しました。術後数日は痛みでまともに動けなかったし、その辺は記憶が曖昧です。

 当初退院予定だった10日間が経過した段階でも、とても日常生活を送れるような状態ではなかったし、目途もついてませんでした。点滴は両腕から、いくつも薬を入れ、体にはなんか色々な体液を排出するチューブが4本くらい刺さってました。

 ようやく自分がテレビで見るような難病だったんだなぁと自覚しました。とはいえ、術後の経過はそこまで悪いものではなかったようで、退院する頃には入院する前より元気になっていました。ちゃんと杖なしでまっすぐ歩けるようになっていて感動しました。

 

 結局10日くらいの入院でしたが、まぁ慣れとは強みでもあり恐ろしくもありますが、慣れてしまえば入院生活も日常でした。

とはいえ、やはり退院して”普通”に暮らせるのはありがたいですね。

 しかし腸を大幅に切除したことによる吸収力の低下、非炎症部の小腸大腸の休養のために、小腸の上部から人工肛門を増設しました。人口肛門、手術が終わったら否応なしに付いてたんで当初は困惑しましたが、これも慣れてしまえば日常になりました。2日に1回程度外して掃除して新しいものをつけるっていうことをしてます。あとは毎朝点滴の付け替えがあります。それと週3回、手伝いや経過観察のために医者や看護師が訪問しにきます。

 こんな具合にやることはそれなりにありますが、制限に気を付けつつ食事して、運動して、僕個人としては依然より健康になったと思います。

 また、人口肛門は永続ではなく他の臓器の様子を見て閉鎖し、元の体に戻る手術をする予定(3か月~半年後くらいらしいですが)なので、そこまで悲観的にはなってないです。とにかく今は休養に努めたいと考えています。

 しばらくは母親と二人三脚で暮らしていきます。また、愚痴やネガティブなことを言ってしまうかもしれませんが、優しく流してくださるとありがたいです。

 長くなって飽きてきたのでこの辺にしようと思います。読んでくださった皆さん、ありがとうございます。そして皆さんもご自愛ください。

病状というか現状

 さっと患部を切って2週間で退院!っていう予定だったんだけど、僕の病状(クローン病)が思ってたより悪くて炎症範囲が広く、予定より少し大きく切ったらしい。
 そんでその手術の3日後にまた炎症が見つかって手術することになった。は〜やってらんね〜、そちらの不備では?って思いつつも手術。これでもう2週間で退院は潰えた。
 腹に縦15cmほどの開腹痕と4箇所に小さい傷がある。これがまぁメチャクチャ痛かった。考えてみれば内蔵に痛覚はなくとも、皮膚にはあるしな…。痛み止めドバドバ使って4日後くらいには痛みは落ち着いた。この痛み止めが麻薬らしくて5時間に1度しか使えないんだが確実に痛みは引く。やはり麻薬は”ガチ”。
 そのバカでかい傷痕に加えて、体から色んな液を抜くチューブが5本くらい刺さってた。このチューブ、本当に身体に直にぶっ刺さってて、抜く時もメチャクチャ痛かった。内蔵に20cmくらいは入ってたぽくて、それがずるぅって抜ける感触も気持ち悪かった。
 とまぁ現状は色々とチューブも抜けて、点滴も減って、傷痕も痛くなくなった。だけど、ストーマ(人工肛門)がまだ左腹部に残ってるんですよね。一生じゃないけど、数ヶ月は付けて置かないといけないらしい。人工肛門自体はググってほしいんだけど、まぁこっから食ったもんが出るんですよ(なんかウンコって感じは全然ない、むしろゲロに近い)。
 今はツイッターにも写真上げたけど、食事はお粥とそれなりのおかずを3食ちゃんと食べれてます。むしろ入院前よりちゃんとしたおいしい食事って感じがします。
 後はドロドロになった体力を元に戻す、いや入院前から既にまともに歩けてなかったから、元に戻す以上にまともに歩けるようになるためにリハビリも始めました。最近ようやく1人で100m歩けるようになったくらい。
 そんでいつ退院できるのって話なんだけど、未定です。術後経過も良好、血液検査も良好なんですけど、さっき言ったストーマに出てくる水分が多いとかで、そこを薬(1回で6種類くらい飲んでる…)で調整中で、水分が減りさえすれば退院はできるっぽいので、あとは薬の効果に期待するだけです。
 あとこれは僕の病気に関係ないんですけど、僕は料理や旅が好きです。病気になる前から元々。だからよく他人の飯ツイートや風景や旅の画像を”いいね”するんですけど、嫌だったらごめんなさい…。ただ逆に変に気を使って飯ツイートしないとかは全然大丈夫です。僕の自意識過剰なら良いんですけど、リア垢にはそういう人がいたんで…。みんなガンガン飯ツイート旅ツイートしてくれよな!

 最後に、心配してくれた方、本当にありがとうございます。その気持ちだけでもメチャクチャ嬉しいです。早く元気になって旅行したりおいしいもの食べてる画像あげようと思います!!

睡眠は救済。そして地獄に堕ちる。

 

以前からあった「お前も大変なのはわかる、だけどこっちも大変だけど頑張ってるんだ」「だからお前も頑張れよ」っていう空気がメチャクチャ強くなった。俺の周りではそんなことないけど、被害妄想でしょ。そうです。その被害妄想が強くなってきたから困ってるんじゃねーか。どうしたら良いんだ。僕はもう自力じゃ助からないのに、誰を頼ったらいいんだ。

 

それでもいたよ?「いつでも連絡してきてね」とか「困ったことがあったら言ってね」みたいなこと言ってきた人間が。鬱になってからでも3-4人はいた。でも、いざ連絡すると「ごめんその日は予定ある」「ごめん、今は無理かな」って言ってくんの。さすがの僕でも非常識な日時はしてないのに。そしたらやっぱどいつもこいつも軽く言ってくるだけなんだなって思うわけ。たかが3-4人じゃんって言うけど今の限界状態でそれだけ声かけるのが精一杯なんだよね。無理だよ。これ以上誰かに頼ろうとするのは。わかるよ。それこそこのコロナのせいで大変なのは。でも、だったら「いつでも連絡してきてね」とか「困ったことがあったら言ってね」とか言わないでくれよ。そういう同情が一番嫌いなんだから。もう俺は誰かを信用しては裏切られるっていうこと経験したくないの。そんなのは家族に裏切られたことでたくさんだ。

 

家を出てもう1年半が経つけどいまだに昨日のことのように思い出す。夢に見る苛まれる。俺は真面目に生きてきた。社会に貢献しなさい。親孝行しなさい。って育てられた。でも、そんな自分のモラルさえ裏切るようなことしたんだ。今でも苦しい。ずっとお前は生きる価値なしって僕自身が言う。病気で大学を延々と休学し続け、25歳なのにいまだ社会に貢献するどころか、日がな一日ボーっとして終わるだけだ。何も勉強しない。労働しない。日々自分が馬鹿になっていくのがわかる。まともに本すら読めやしない。ホントになんで生きてるかわからない。

 

それでも死にたくはない。最近は本当に死ぬのが怖い。クローン病が命にかかわるような病気じゃないのはわかってる。それでも日々悪化を自覚する病状に怯える。手術もするかもしれない。これまで以上に何も食えなくなるかもしれない。そんな体で長生きできるのか。僕の精神だって限界がきて自死を選んでしまうんじゃないか。怖い。毎日こんなことばっか考える。考えては怖くなり精神も肉体も疲労する。最初にも言ったけどもう僕自身で助かれないんだ。だけど誰も助けてくれない。神も医者も病気を治さない。家族は誰も近くにいない。同じ難病の人の話探しても家族と仲良く楽しそうに暮らしてる。でも父親はじめ残りの兄姉も宗教にどっぷりで、僕はもはや宗教を裏切った異端者だ。一切の支援はない。先に出ていった母親は金は出してくれるが、いまだに宗教に未練あるようなこと言うし、何よりも過保護だ。そりゃ心配なのはわかるが、一ヶ月も下宿にいるのはおかしいだろ。30日間ずっと同じ部屋にいるんだぞ。しかも鬱が酷くて一人がよかったから、来ないでくれって泣きながら頼んだのに無理やり来た。おかげでストレスで病状が悪化した。本末転倒だ。クソが。

 

俺は母親が好きだった。優しくて一緒になんでもやってくれて。でもそんな母親は宗教にハマってから変わった。ヒステリックは日常茶飯事、なんにでも怒る。家族や従業員と言い争うようになった。父親はいつも母親の見方はせず従業員の味方、これも宗教の集会で文句言われないようにだ。従業員は全員宗教に通ってる人間になっていた。いつの間にか。少しは母親の味方すればこんなことにはならなかったかもしれない。でも父親は宗教に、母親以上に依存してたんだから仕方ない。本当に嫌になる。どれだけ僕の人生をメチャクチャにすればいいんだこのクソ両親は。

 

 本当に嫌になる僕自身が。僕がこんな病弱でさえなければ親も宗教にハマるようなことはなかっただろう。本当に自分が惨めで情けなくなる。昔も今もそうだ。情けなくて申し訳なくて死にたくなる。ああ情けない、情けない。年老いた親に孝行せず怨むなんて。俺は長生きできるのかわからない。でも死んでも天国には行けないだろう。生きるも死ぬも地獄だ。ただこの睡眠だけが安寧だ。最後の幸福だ。だから眠れない夜は恐ろしい。地獄だ。俺はこのまま地獄に堕ちていく。

 

こんな時世だ。死にそうだ。

  こんなご時世だ、ともに齢60を超える両親がもしコロナにでもかかったら危ないだろう、特に母親なんか透析してる上に心臓の手術までしている。本当に危ないだろう。別に以前からだってそのまま会えないまま家族が終わるなんて理解してたつもりだったが。とはいえ僕は両親のことが憎い。昔から僕より教祖、“神様”、宗教関係者の言うことばっか聞くような人たちだ。

 留学まで“神様”が良くないって言うから直前で取り消しになった。あれはマジで傷ついたね。その時もまた信者たちに囲まれて「留学なんて金の無駄」「留学いっても遊ぶだけ」「留学なんて社会人になってから自分で行けば良い」とかそんなん言ってくる。

 いやいや誰だよお前ら。家族はちゃんと他の信者の名前覚えてたけど僕は一切覚えてないね。集会の時だって右から左へ聞き流し、早く終わらないかなって体育座りして時計見てる。でも「HAL君さぁその態度はないんじゃないの」って幹部の一人が目ざとく注意してくる。そしてそこから「家族の教育がなってない、家族に問題がある」と今度は僕らの家族が引っ張り出されて怒られんの。ご先祖様が悲しんでますよって。その態度を改めないと経営はよくなりませんよ。お姉さんの旦那さんも見つかりませんよって。

 そんで家に帰ってきて夕飯の時に反省会。お前のあの態度はなんだって。さっさと飯食って自分の部屋に行こうとすると、「逃げるな」「感謝を忘れたか」とかそんなね、よく集会で飛び出すワード使っちゃってね。もう飯がまずくてしょうがない。テレビも消されるし。そんでお店の経営が悪いのも姉が結婚できないのも僕のせいされてメチャクチャ怒られんの。マジで勘弁してくれ。それはお前らが宗教頼りで何もしてないからだろ。

 

 いやまぁ今回は別に宗教の話は別にしたくなかったんだけどやっぱ切っても切れないね。ホントにクソ。クソクソクソクソ。

 今回したかったのはコロナに罹ったら僕も持病があるし、両親も良い歳だし、本当にこのままで良いのかって考えちゃって考えちゃって夜も眠れない。まぁ考えてっていうか嫌が応にも思考に侵略してくる感じなんだけど。何やってても起きてくる限り親の顔が浮かんでくる。父親は全部(学費や医療費その他諸々)の支払いを止めたクソ親父だ。まぁ死ぬなら死ねばっていうのを感じる。

 母親は昔から過保護だったんだけど今になっても過保護は加速して止まらない。3月丸々僕の下宿に居たのだ。身体が心配だから面倒見るとか言って。1ヵ月も人と一緒にいるのは鬱病には無理だって何度も言ったのに無理やりきた。そんで料理や洗濯とかして満足してるけど、僕の病気はストレスで悪化したからな。明確に。それを言っても鬱病を理解しないんだから無理だこの人は。

 とはいえ今のパトロンは母方なので従うしかないんだが。

 

 だからいっそ両親とも死ぬか僕が死ねば解決するのでは?って思ったんだよね。いやまぁ僕の死をきっかけに家族がまた一つになるならば安いものだとは思う。本気で思うけどね。

 そもそも、母親が宗教に行くようになったのも極小未熟児で生まれつき体が弱かった僕のせいでもある。そんで中学生の時には、病気を治してもらったとか言ってますます家族全員でのめり込んじゃったんだから始末が悪い。僕が未だに父にも母にも言い返せないのはやはり病弱な自分という負い目がある。ただただ健康であれば良かったのに。そんなことすらできない自分が本当に嫌いで仕方ない。いつまで病院に通い続けるんださっさと死ね不良品。

 

 夜は嫌いだ。ずっとこんな気持ちだ。

鬱々とした精神状態をスッキリさせるために書いた

しんどくて吐き出したくなったのでここで書きます。

クローン病の状態はなんかこう…良くなったり悪くなったりしていまいち治験の成果が完全に出てるとは言えなくて、毎日の報告も、2週間に一度の診察もめんどくさくなってきた。けどまぁ現状他に有効な薬がないっぽいし仕方ないね。

元気な時はホントに元気なんだけどね。だいたいずっと下腹部が痛いまま毎日過ごしてる。痛いの我慢して授業出たり、友達と喋ったり。まぁそれに耐えられなくなって休学することにしたんですけど。

肉体的にはそんな感じ。

ヤバいのは精神の方がヤバい。

未だに家族のことを心の中で処理できてなくて、ずっと引きずってる。だってしょうがなくない?僕は幼い頃から、自分の父親と母親は一生懸命働くし、兄姉とも仲良いし、金持ちだし、理想の家族だって思って過ごしてきたんですよ。

それが宗教のせいで台無しにされた。もう最悪ですよ。

中学、高校とまぁ宗教のことはおかしいと思いつつもとくに害があったわけじゃないし、(土日や放課後に集会に行かないといけないのはだるかったけど)その時はそこまで気にしてなかった。まぁ生活の一部だって受け入れてたし。

だから、宗教に疑問は持ちつつも家族円満に過ごしてるなら別に良いやって思ってたし、なんなら他の離婚した家族や、友人の家庭まで憐れに思ってた。おこがましいよね。

まぁだからこそ、自分がその立場になってメチャクチャショック受けてるっていうか、あんな幸せな家族だったのにこんな不幸な家族になることある?って感じなんだけど。

父さんはメチャクチャ金稼ぐし、そのお金を病気がちな僕に湯水のごとく使ってくれたし。父さんとドライブしに行くのも楽しかったし。それが気付けば休日は集会に行くようになるし、体調が悪いと訴えても「お祈りが足りないからだ」って病院にも連れてくれなくなったしね。

気付けばなんでもかんでもその宗教に判断を仰ぐようになってて、受験する大学も、留学も、病院も、就職先も、もうなんでもかんでも全部。僕はもうホンットに耐えられなくなった。迷ったら訊きに行けば良いのに、もはや「訊かないで勝手に何かしたら怒られる、ばちが当たる」って言うようになってましたからね。脅迫じゃんかそんなの。

僕も母も大病で入院して無事に退院した過去がある。それを「命を助けてもらった恩を忘れたのか」っていつまでも、ことあるごとに言ってくる。勘弁してくれ。

父親はかつて経営のアドバイスをもらって、それが大成功して以来、完全にのめり込むようになった。確かにその時は偶然か何か知らないけど経営がメチャクチャ良くなった。ただそれ以降は何やってもその時ほどの黒字にはならないし、むしろ赤字にもなっていた。

その理由の一つに、従業員が全員その宗教に通う信者にしたことだと思ってる。経営が少し厳しいからと今回は少し給料を減らさしてくれと言うと、従業員たちは宗教に駆け込んで「給料を減らされた!真面目に働いてるのに!」と泣きながらに言う。メチャクチャむかつく。始業時間を過ぎてから出勤してきて仕事中もずっと喋りっぱなしのくせに。そうすると教祖は「○○(僕の父)さん、あなたはひどい人だね、経営を助けてもらったことを忘れたのか?感謝がないんじゃないの?」と言ってくる。そう言われた父はむしろ給料を上げる。意味がわからない。そしてその分、家族を無給で働かせる。ホントに意味がわからない。

この「感謝がない」って言葉にずっと僕の家族は苦しめられてきた。何が起きても「感謝がないから」で済ませる。そうすると家族はいっそう信仰を強くする。具体的には平日でも集会に顔を出すようになるし、土日は一日中。朝と晩は神棚とわけのわからない祭壇にお祈りをする。しないと怒られる。

なんて唱えるかっていうと「三十三間堂清凉寺広隆寺、東寺、泉涌寺の神様、仏様ご先祖様、どうか今日も一日お守りください」。夜は「今日も一日お守りくださりありがとうございました」これを欠かさずにやってたんだよ。

あの宗教の上手いところは自分たち自身で○○教って名前をもたないで実際にある仏閣を利用したところだよね。毎月3日にその宗教でさっき挙げた5つのお寺に1日かけてお参りに行く。それぞれのお寺で1つ1つの仏像に丁寧にお参りしていく。そこで信者から集めたお金の三分の一をそれぞれのお寺に寄付してく。まぁ…これ自身は良いことだとは思うけど。

けっこうな大金を毎月寄付してるんだからそりゃお寺もそこそこの待遇してくれて、普通には入れない場所にも入れてくれる。そういった特別性が余計に「ここは変な宗教じゃなくて本当にただ信仰心のみで集まってるんだ」みたいな認識を与えてるみたい。アホくさ。

だからこそまぁ信者たちの結束はかなり固くて少しでも背くようなこと言ったり、黙って何か行動したりすると村八分。寄ってたかって責め立てる。集会の場で信者たちの前に晒上げてメチャクチャ責める。心を折るまで。地獄ですよ。閉鎖空間で何十人もの人間から罵倒されますからね。

僕もされた。ここからが本題。

本当にそれが今でもトラウマで、半年以上経った今でも夢に見る。信者たちや幹部たちにボロクソに人格否定、存在否定されるだけでなく、最後には父親にも「もうお前は信用できない」って言われて罵倒されたし、殴られましたからね。普段は絶対に殴るなんてことしない人なのに。あの変に熱狂した空気が攻撃的にさせるんでしょうね。実際に父親が僕を殴ったあとは「よくやった、そんなバカ殴って当然だ」って言ってましたよ。悔しくて父親に初めて掴みかかったけど周りの信者に引き剥がされて座らされて、「何考えてんだ」ってまた罵倒ですよ。

まぁ最後は「二度とここには来ない」って言って出てきたんですけど。

そしたら次の日、今度は父親と姉と従業員三人と合計5人に囲まれてさっきと同じようなことされて。メンタルはもうボロボロだし、もうここにはいられないって脱走してきたって話。

何十人って人間から囲まれて、罵倒されたことある?普段はそんなん気にしないぜみたいな僕でも精神メチャクチャになるからね。

それに加えて今まで仲良くしてた父親に裏切られたっていう悲しみと、僕の方から父さんを裏切ってしまったっていう罪悪感も胸に残ってていつまでも消えないんですよね。

父さんはホントに僕に良くしてくれた。凄く良い教育もしてくれたし、金に困らないようにしてくれた。そんな父親を裏切ってしまったっていう感情が消えないんですよね。仕方ないとはいえ、実の父親を裏切るなんて尋常じゃないじゃないですか。

でも多分今頃は僕と母さんのことは忘れるように言われてるだろうし、姉と兄と一緒に自営業を頑張ってるんじゃないですかね。

 

僕の心から罪悪感と宗教への怒りはずっと消えないんでしょうね。

以上おしまい!

吐き出せてスッキリしました。